明治さんとあさ子さんの発言まとめ

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実家の壁

僕は実家住まい、更に言えば代々この場所に住んでいるので父も実家住まいでここまで来た。

ということでこの家は典型的な実家で、物が多くて、祖父の代や下手したら曽祖父の代がこの世に残したものまで家中、庭中に散見している。実家がピンと来ない人には申し訳ないが本当にこれしか説明のしようがない。庭で穴を掘ると錆びたペンチとか出てくる。座布団で一杯の収納がある。タンスの前に衣装箪笥が置いてある。奥のものは使われずに手前のものだけが出たり入ったりして、まるで厚い壁の中でひっそりと生きているようになるのだ。

 

僕の部屋もその多分に漏れず、押し入れの中には、大量の裁縫用の生地がしまってあったり、親戚の竹刀が立てかけてあったり、松本清張の本が(しかも旧字体のもの)誰にも読まれないまま30年間同じ場所に座っていたりする。自粛生活が続くこの機会にと、昨日は僕の部屋の押し入れの中身を引っ張り出して大掃除をしてみた。実はこの押し入れの中にある箱は今まで恐くて恐くて出したことがなかった。

虫やネズミでも出てきたらどうしよう、と子供の頃に開けられなかったのを覚えている。

けどもうここまで来ると限界だ。物が溢れていて当たり前の幼少期と違い、僕は一度家を出て変に常識を学んでしまった。その上、この異様な箱の上には、塵が積もるようにゆっくりと僕の遺品候補もたまり始めていた。

この流れを断ち切らなければならない。堂々と家に居られる今はその絶好の機会だ。

 

(この家で掃除をする度に思うのだが、自分のものは自分で始末したい。こうやって親戚の誰かに処分されるくらいなら、多少心残りでも、僕は僕の手で僕のものを捨てたい。)

 

勇気を出して開いた3つの大きな箱の中にあったのは、生地だった。しかも家族の中にこれだけの生地を溜め込むほど裁縫をする人なんてのはいない。誰かが使っていたならまだしも、誰も使わないものが、いままでずっと押し入れの半分近くを占領していた。

一方で押し入れの外、僕の部屋には、カラーボックスが、本棚付きの学習机が、和室には不釣り合いのプラケースが、行き場のない僕の私物を匿っている。壁だ。厚い壁を僕は掘っているのだ。

祖父祖母の代に買われたであろうことを考えると、生地を捨てるのが勿体なかったのだろうと思う。そして父母の世代は、祖父祖母の世代のものだからとこの箱には触れなかった。僕はと言えば、そこに箱があるのが普通だったり、そもそも片付けてはいけないものという刷り込みから、この箱は動かさず、部屋の一部となっていた。

 

僕は部屋の片付けが苦手で、いつまで経っても物が散らかりっぱなしで、よく両親から衣装ケースや収納ボックスなどを買い与えられていた。ただこれらの後から足された収納にものを入れても、見た目的には箱が増えただけになるわけで、今振り返ると、僕が片づけられなかったというよりは、この部屋に片付ける余地がなかったのだと考える方が合点がつく。

 

別にこの事に少年であった僕が全く感づいていなかったわけではない。プラケースを突然渡されても困るなあとか、せっかく一部分片付きそうなのに、この衣装ケースを置けるのはここだけなんだよなあ、とか、買い与えられた収納を邪魔に思っていたことを覚えているからだ。

けど、僕はそれを両親には言えなかった。僕は家族に物事を主張することをしない子供だったし、断るくらいなら受け入れてしまった方が労力を使わないという今でもする処世術を、物心ついた時から心得ていた。(これについてはこういう考え方を自分に植え付けた原因が絶対何処かにある)僕は与えられた条件の中で生きてきた。それが自分の中では正しかった。それ以外の考え方を知らなかった。

 

このある種の礼儀が、今自分の首を絞めている。何をしようにも、部屋にいるだけで僕は囲まれている。自粛生活の中で、何かを前に進めなきゃいけない時に、未来を見たいのに、視界に飛び込んでくるのが過去ばっかりなのだ。

 

箱から出てきた生地を一つ一つたたみ直しながら、思い切って片づけてしまおうと心に決めた。この古く淀んだ気を、入れ替えなければ、僕はいつまで経っても、条件の中でしか動けないままだ。次々とあらゆるものに押されて、進めないままだ。家族からいつかに買い与えられたものを捨てるのは、家族に申し訳ない気が今だにする。けど、この世代を超えて厚さをましていく壁を、僕が止めなければならない。自分の世代の作った過去は、自分で決着をつけたい。新しい一日が始まった時に、昨日や昨日より前のものに口を塞がれたくない。

 

生地を整理したあと、学習机に取り付けられていた本棚を取り外して解体し、生地を取り出してできたスペースに本を入れたら、急に部屋が広くなった。本も整理をすればまだまだ減量ができそうだ。気持ちも物も入れ替えて、再出発に備えたい。