明治さんとあさ子さんの発言まとめ

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ギリギリの場所

「実家 片付け」で検索すると出てくる出てくる僕の様な状況の人たちの経験談。年配を敬う日本の歴史、家族の間に最後まで残された敬意のカサブタを、剥がせないまま何十年も経ってしまった人が意外と多いようだ。実家を片付けるということは言ってみれば親族の主導を少しばかり握らなければならない勇気のいる行為で、それは他の家族からしてみたら自身の無力さを指摘される様なことだろう思う。だからこそ、多くの人はギリギリまで待つ。待つ気がなくても、待っている。

 

ただこれは想像力を少しでもはたらかせれば危険な賭けだ。何故なら、そのギリギリの所で待っているのは大病の不安や、もっと言ってしまえば死の悲しみだからだ。そんな中で部屋の掃除をするのは、辛すぎる。掘り返せば掘り返すほど思い出が湧き出てくる。そんな時でも、外の世界では仕事や責任が待っている、時間制限をかけられた中で、目を瞑りながらものを捨てていくことになるはずだ。

 

そして僕も今でこそ30代だが、そこに辿り着いたときに、一気に片付けや整理をするような体力も残っていないかもしれない。今できるうちに、できるだけやってしまいたい。

 

正直、両親にももっと頑張ってやってもらいたい。特に父は、祖父祖母のものを大して処分していないことを考えると、このまま逃げ切ろうとしているようだ。母は母で、もしかしたらそれを良しとしておらず、自分が代わりに片付けることを避けているのかもしれない。

それともそんなこととは関係なしに、二人とも僕が思うほど若くはなく、ものを溜め込んでいった祖父祖母の代と同じ道を、もう歩き出しているのかもしれない。

 

思い出は歳をとればとるほど、振り切れなくなっていく。増えていくことよりも、減っていくことの方が多いからだ。それを責める気はない。

 

けどそれでも、古いものを処分するというのは、必ずしも減っていくことではない事を、どうにか感じ取って欲しいなと思う。

処分をするからこそ、今、この時点でその過去にもう一度自分の意思で触れられるのだ。病気や死を前に取り囲まれていないときに、決着をつけることができることで、得るものが絶対にある。

 

今日は片付ける段階として、僕の部屋にある「僕の意思で処分できるもの」と「僕の意思で処分できないもの」を分けてみた。

そうすることで片付けをしたあとの部屋の様子を視覚的に得ることができる。

案の定、ほとんどが僕のものではなかった。いま、部屋には親族の古い書類や写真などがちょっとした丘を作っている。

 

少年時代の僕は、自分の意思ではどうにもならないものに囲まれていたことが、よくわかった。これがひょっとしたら、僕の性格にも影響を与えていたのかもしれないと思えてきた。

自分で決めて行動するという事を、この部屋が否定し続けていたのかもしれない。

 

そして、この後は少し複雑なことになる。「自分の意思では処分できない」ものを、自分の意思で処分することが次のステップだからだ。

家に置いておくことに意味があるものかを精査する。とっておくものは、先に挙げたギリギリの場所に辿り着く前に、再会するであろうものでなければならない。

 

今日の作業で、今まで触れて来なかった天袋のものも少し降ろしてみた。まずでてきたのは新品の毛布。この存在を知らないまま、僕たち家族は新しい毛布が必要になれば買い足していた。そして大量の座布団。何かの封印を解いてしまいそうな気がして、これは床まで降ろすことができなかった。明日もう一度挑戦してみるつもりだ。

 

できれば、捨てるばかりではなく売ったりリサイクルに回したりもしたいと思っている。

しかしこの古い座布団、安全なんだろうか。中がカビていたりダニが沸いていたりしないものだろうか。

正直なところ、そうだったら重いっきり捨てることができて気が楽なのだが。

 

動かすのが嫌だな、と思うけど、ギリギリの場所でこの葛藤をしていたくない。