明治さんとあさ子さんの発言まとめ

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友達を切り捨てたの巻

お題「#この1年の変化 」、、、友人関係を見直した。

 

誰にでも面倒くさい友達っているんだろうか、僕だけだろうか。

僕は面倒くさい友達を作ってしまう傾向があって、心の中で面倒くさいなあと思いながら付き合い続けてしまうことがよくある。

もう5年くらいの付き合いになるだろうか、この友達は自分の中でもなんていうか革命家タイプの人で、話しててとても面白いな、興味深いなと思わせるような話をよく聞かせてくれる友達だった。

社会がいかに歪んでいて、社会がいかにその歪んだシステムの中で市民を誘導し利益を確保しているのか、説いてくれる人だった。今回の新型肺炎騒動でもそう。去年のBLM運動でもそう。メディアによる煽りに人々が乗せられていく危険を説いていた。

 

けど何が面倒くさいって、話が長いのだ。話がひたすら長い。頼んでもいないことを延々と説教してくる。途中で僕が何を言おうと関係ない、いや何かを言えば僕の発した一文の中のキーワードを一つとってそこから更に自分の意見を広げていく。

去年、コロナで亡くなった人が周りにいるかと唐突に聞いてきたので、亡くなった友達の父の話をしたら、それは直接の知り合いではない、自分の周りでは亡くなっているのは友達の友達だとか同僚の家族だとかで、大抵は基礎疾患があったり高齢者であったりするので、健康な人で本当に身近な人が亡くなった例はとても少ない、だから今、社会はパニック状態にあり、ヒステリックになっているだけだと。僕はその時、父を亡くした友達のことで憂いていたので、流石に今はその人の話は聞きたくないといった。

ある時、試したら、僕が相槌も打たずに黙って聞いているのを10分近く気づかないこともあった。すでに聞いた話をされることもあったし、それを指摘した所で意味がない。僕のいうことなんて聞いていないのだから。そんな時は、話すだけ話して満足すると、「じゃあ僕はもう寝るから」と話を終わらせていなくなってしまう。僕はその話の中で発することができなかった僕の意見や考えのやり場に困りながら、疲れ果てて寝るのだ。

この人の自分の意見への執着はある種の病気なのかもしれないから、一概にこの人を叱ることはできないと思うし、これに関して僕の出る幕ではないと思い、それでも絶縁するようなことはせず、ある程度我慢をして、この人の意見を聞ける時は聞いていた。でも正直、面倒臭かった。

 

けど、この新型肺炎騒動が続いて、その煮え切らない交友関係を終わらせることができた。彼のような意見のある人、考えを発する人を、僕はエネルギーを費やしてでも僕の側に置いておく必要があると考えていたが、その理由がわかったからだ。それは僕の考えを形成するヒントを与えてくれる期待があったからである。

最近になってある程度ワクチンや病気の防ぎ方とか、より明確に見えてきたものの、去年は何が正しいのかわからない、言ってみれば異常事態だった。考えや思いを共有し、時に疑問を投げかけあって、歩く道を確かめる必要があった。こういう時のために、僕は彼を友人として、受け入れていたのではないのだろうか。

けど、彼のようなコミュニケーションが絶望的に成り立たない人は、むしろ逆で、それをさせてくれない。付き合いが5年以上になるとか、何か決定的な事件があったわけでもないとか、この人には僕の他に話を聞いてくれるであろう人がいない事が容易に想像できるとか、そう言うことはもうどうでもいい。これは単純に危険だ、そう思った。

 

それでもしばらく付き合いは続いたが、その新しくできた僕の空間の中で、彼と、彼の話を聞く僕の間にあったものは、僕の期待だったことがわかった。話を聞いてもらえる期待ではない。自分の足元を照らす灯への期待だ。けどそんな灯は、人の意見を聞いているだけでは生まれない。自分の足元を照らすのは自分であり、この人の長い話は、この人の足元だけを照らしていく。一言一言彼が発するたびに、彼は自分の居場所を照らし、僕が話を聞くことで成り立つ承認が、その照度をあげていく。

(皮肉なことに、そんな気づきをまず伝えたいなと思ったのがこの人だった。会話をしているという虚構が長く続いたせいだろうか。)

 

僕はそして、この人からの連絡に返事をするのをやめた。前にも何度か疲れて返事をしなかったこともあったが、久しぶりに連絡が来るたびに、最近どうしているのか聞いてみたくなって返事をしてしまう自分がいた。けど、もはや面倒臭いだけではなく危険になってしまったこの人に、僕は何を説明する気力もなくなってしまった。

 

数ヶ月たった今、なんだか長い文章が送られてきた。面倒くさいのでハッキリ読んでいないが、自分は何も悪いことはしていないし、連絡を取り合いたくないならせめて理由だけでも聞かせて欲しいと言うようなことが書いてあるように見えた。

彼の話が長いこと、疲れていると言っても話し続けて僕が怒ったことも過去には何度かあった。それでいて見当もつかないなら、やはりこの人とのコミュニケーションは成り立っておらず、危険である。

この一年で、心の健康について深く考えさせられた。自分の心を守ることが、感染症対策と同じくらいに重要なのだ。

 

放っておけば、その内似たような人を捕まえて、僕に話したんだかその人に話したんだか話してないんだか本人が思い出せないような話を、きっと続けるのが関の山だろう。

楽しい思い出もあるし、彼の意見自体、なかなか面白いなと思うことも多々あっただけに残念だけど、この人の熱で干からびた僕の受動帯はもう触ると砂のように崩れていくだけなのである。

 

っていうか、何が悪いかわからないけどとりあえず謝るってのは、なんだ。お構いなしもいい所である。僕は決して友達が多いタイプの人間ではない。だからこそ、この人を切り捨てることに勇気が必要だった。でも今思えば、彼はその弱さを嗅ぎつけて、僕に声をかけ続けていたのかもしれない。