明治さんとあさ子さんの発言まとめ

楽しい毎日を日記で綴ります!

ClubhouseでAndrew Bayerのなんとかって曲と色んな人の背中思い出すの巻

Twitterのつぶやきの長いバージョンみたいな日記なのに、お気に入りに登録してくれている人がいるのは本当に嬉しい。

よく考えてみたら、オンライン日記の短いバージョンがTwitterだったんだから、別に自分のオンライン日記を卑下する必要はないのか。そうだよね。

 

今日、嬉しいことに(?)クラブハウスの招待をある人から送ってもらえた。気にしてないと言いつつ、二人しかない枠の中で自分に声をかけてくれたのはちょっと嬉しかった

クラブハウスは、「部屋」(ライブ配信中の人たち&聴取者の集まり)にアクセスすると、途中からでも話を聞くことができる。そこで発言したかったら「発言したい」旨をアイコンで表示して、それが司会者に受け入れられたら発言もできる。という仕組み。

 

これを本当の部屋だと仮定するとこんな感じだ。

部屋に入る。中心人物がわいわい会話をしている。みんなが聞き入っている。誰も僕には気づかない。聞きながら僕は思う。「あ、今さっきの人の発言が無視されたな」「この人、相槌を大声でして相手の話を自分のものにしようとしているわ」。。。けどそんなことは関係なしに話は進んでいく。誰も僕には気づかない。大勢が静かにその中心人物の話を聞く。

楽しみにしてたんだけど、なんだか、これを聞いていてむしろ仲間外れにされている気分になってしまった。一人につき二枠の招待枠を勝ち取ったにも関らず。

立食パーティーでみんながわいわい盛り上がっているときに人気者たちがやんわりとお気に入り以外の人たちを輪に入れないアノ感じなのだ。画面から僕を優しく見ているのは「leave quietly」(静かに退室する)のボタン。

 

僕をクラブハウスに誘ってくれたのはそんな立食パーティーやクラブでもいつも横にいさせてくれた友達だ。都内で一人暮らしをしていた頃で、僕はクラブやパーティーなどに行っては新しい出会いや新しい仲間を求めていた。テクノ音楽が好きで仲良くなったこの友達は、DJの友人のダンスパーティーや、親友のバースデーなどに僕を誘ってくれた。

けど、そういうクラブやパーティーというのは社交的でありながら排外的でもあって、今振り返ると、自分にとって得るものは少なかった。エゴの強い人たちもたくさんいて、その友達が僕を誘ってきたことを面白く思わない人もいたのを僕は知っている。当時の僕には都内の週末の楽しみ方というのはこういうパーティーなんだろうと思って、自分なりに仲良くしたい人、仲良くしてくれる人を見つけて楽しんでいたけど、2年くらいそんな遊び方をした後、飽きて、いや、疲れてやめてしまい、この友達とも次第に疎遠になっていった。

僕と遊びたかったら一対一で遊ぶし、僕はその方がラクだ。多くても4人、、それ以上になると僕は対応しきれない。もちろん、大勢で飲んだり遊んだりしたあの時を楽しい思い出として振り返ることもできる。だけどそこには誰かしら中心人物タイプの人たちがいて、その人たちが縄張りを主張している。人が集まるところに、必ず縄張り争いはある。それを集まりの醍醐味とする人たちがいる。それがやたら目についてしまう僕は、そういう場所で、だんだん心を開けなくなっていった。最終的には、常に警戒していた、と思う。

そんな時代の友達からクラブハウスに誘われて、あの時の変な感じを思い出したのは奇遇だろうか。ひょっとしたらこの友達も、僕と同じような感覚を受けて、僕のことを思い出したのかもしれない。

(ところでクラブハウスもいいけどStand.fmも同じような感じ、しかもこっちは招待制じゃないからもう少しエゴイズムの低い人たちが期待できそう)

 

いろんなSNSがあるけど、結局web日記が一番面白いかもと思う。僕は生きているだけでいろんな人の考え方や感じ方を病的にキャッチしてしまうから、寝る前くらいはただただそれらを放出しなければならないのかもしれない。