明治さんとあさ子さんの発言まとめ

楽しい毎日を日記で綴ります!

もうね

今日は友人のティボと近所を散策した。適当に目をつけた地下鉄の駅までいって、外に歩き出したら「ようこそ」と言わんばかりに観光客向けの散策マップの看板があったので、指示通りに歩いて言ったら所々にそのエリアにまつわる歴史の話が書いてあって本当に面白かった。

 

工業地区として栄えた場所で、多くの黒人労働者達が住んでいる所だったそうで、時代の流れで黒人が楽しんでいたJAZZ音楽にまつわる歴史や、黒人のためのコミュニティーセンターの跡地、地域のために活躍した黒人女性を讃える地名など、日本では滅多に触れることのできない歴史を知ることができた。

 

ホステルに帰ってリビングでティボとダラダラとしていると、話好きの台湾人女性が隣に座って色々と質問をしてきた。

いちにちパジャマで過ごしていたようで、ボサボサの髪で外が寒くてヤル気がでないことなどを話して来た。

4時間以上外を歩いたあとだったので、ティボも僕も軽く相槌をうちながら話を聞いていると、「私はね、台湾人のオトコより日本人のオトコの方が好きなの」と言い出した。

もうそれだけでなんか居心地悪くなるというか訊かれてもないのになんなのって感じなわけだが、その後「台湾人って超ゲイなのよ(Taiwanese are so gay)」と言い出したから耳を疑った。

 

この言い草だと台湾人がゲイ、なのではなく、台湾人がゲイ臭い、と言ったニュアンスだろうか。

イギリスだったら10年くらい前に死滅した表現だが、10年前当時は僕もイギリスで時々耳にした表現で、「ゲイ=女々しくて情けなくて恥ずかしい」という前提のもと、恥ずかしい失敗をした時にThat’s gayと口走ったり、「ゲイ=女装したケバケバしい人」という前提のもと、派手なファッションやメイクをgayと表現したり、まぁそういう感じだ。

「ゲイも人間」という言うのも恥ずかしいくらい当たり前のことが、当たり前でなかった時代に、英語圏で使われていた表現だ。

 

台湾のことはよく知らないが、男は男らしく、女は女らしく、という古典的な考え方がまだ強く残っているかもしれない。

だが、カナダの、しかもGay Villageと呼ばれるエリアで経営しているホステルでこんな発言をするとは喧嘩を売っているに等しい。

「So gay?どういうこと?」と不快感をやんわり含めつつ聞いてみると、「ゲイじゃないのにアイライナーつけたりするの。」というような事を言ってきた。

ゲイじゃないのにゲイ臭い??

僕はゲイだが、アイライナーなんてつけたことないし、アイライナーをつけたゲイにGay Villageのバーで会ったことすらない。ゲイにもストレートにもアイライナーつける人もつけない人もいる。この人にとってゲイはアイライナーをつけているのだろうか。

しかもここでこの台湾女が指している「男」はストレート男性なわけだから、それをゲイと表現するのは理屈が通っていない。

こういう偏見には慣れっこになってきている僕だが、嫌な気持ちになるのはやはり変わりない。

好きなタイプ、嫌いなタイプの男性がいるのもわかるけど、台湾人だから嫌い、日本人だから好き、っていうのは差別的だし、男がアイライナーするのがキモいってのも随分横柄な考え方だ。

しかもそれを一日中ボサボサの頭で過ごして、静かに夜を過ごしている人に一方的に話しかけるような無礼な人から発言された言葉だからなおさらだ。

 

さすがにティボ(ちなみに彼はゲイではない)もスッキリしなかったようで「ゲイだからって女のような格好をするとは限らないんじゃないかな?」と話に入ってきた。「むしろ逆じゃないの?男が好きな男がゲイなんだから、メイクなんかしたらゲイからモテないんじゃないの?」と。

 

台湾女はいまいち理解できてないようで、何を説得しようとしたのか、自分が「日本人のコスプレ」をした時の写真を見せてきて、「ほら、これ超ゲイでしょ」と言ってきた。

もう怒るを通り越して呆れた僕と、事のおかしさに言葉を失ったティボを前にご満悦の台湾女がそこにはいた。っていうか日本人のコスプレって何!!!(真っ赤なカツラと派手な化粧をして適当に日本語を叫んでいたそうだ。なんかもう滅茶苦茶)

僕はこの先、あまり言及はしなかった。というのも、この手のゲイを単一な何かとして見ている人、ゲイにも色んな人がいることをわかってない人に何を言っても通用しないのを経験上知っているからだ。大抵の場合、「ゲイってみんな良い人!」と逆差別を始めるか、「嫌って何が悪い」と開き直るかのどっちかになる。

 

日本もこんな調子で、同性愛者を何か特異なものとして見ている人が多い。大半はこの台湾女のように無邪気にそういう見方をしている。

悪気はないのだ、と迎合する姿勢でいることの多い僕だが、あまりにこういう出来事が多いのと、ゲイであることを恥じたり悪く思ったりして自分を責めているゲイ(特に子供や若者)が同じ思いをしないためにも、腫れ物扱いされるかもれないのを承知で、言い返す勇気も必要なんじゃないかと思えてきた。

 

ゲイもただの人間なのだ。僕の日記にゲイネタがしょっちゅう出てこないのは、ゲイの話題を避けているのではなくて、そもそも僕の毎日の、そして頭の中の大半は、僕が男が好きかどうかなんて関係ないところに起こっている。

友人と河原を散歩したり、仕事を探したり、見つからなくて凹んだり、家族の心配したり、遠く離れた友人なんかのことに思いを馳せたり、とにかく普通に生きているだけなのだ。

別れた恋人のことを考えることもあるが、そんな時も僕はその人のことを考えている。「あの人、男なんだよな~」なんて考えてない。この彼もまた同じ、自分の人生を生きている。

 

今日の日記だって、この台湾女がこんなわけわかんないことを言い出さなかったら、ゲイの話題なんて触れず、歴史を学べた一日、なんて日記をまとめられていただろう。

 

そんな普通の僕のほんの一部である「好きになる相手が男=ゲイ」という事で、人格や外見を決めつけて、しかもそれを悪く思っている人に会うと本当に気分が沈む。

僕がゲイだからこそしてきた経験が人格に影響しているのは間違いない。けどそれもまたただの一部なのだ。

僕の人格を形成するのはゲイであることだけでなく、自分の学んできたこと、仕事、経験、とにかく様々なことである。ストレートの人ももちろん同様だろう。

 

ここまで書くと、この台湾女が一体どうしてここまで差別的なことをボロボロ言うのか、「形成する要因」がなんだったのか気になってくる。

ひょっとしたら、彼女は普段からこういった差別にあっていて、感覚が麻痺しているのかもしれない。

振り返ると「私たちアジア人はしっかりしてるよね」だとか、「白人っぽい方が台湾ではモテるの」だとか、そういう表現をやたらする人である。ズボラなアジア人も知ってるし、白人っぽくない台湾人もたくさん知ってるし。。。

「台湾人だから」「女だから」という理由でしたいことができなかったり、茶化されたりすることが多いのかもしれない。普段から偏見やしがらみに縛られている人は、周りの人にも同じだけの偏見やしがらみを与える傾向があるように思う。ゲイである事を隠し通している人が、ゲイを嫌うことが多いが、同じ理由だと思っている。

 

ちなみに何とか冷静にやりすごしたあと、やっといなくなったと思うと、今度はどっかからか「3人がセックスをしているようすが浮き彫りにされたチョコレート」を持ってきて「これって日本語でなんていうの~!?」と聞いてきた。

もうね、相手してらんない。

ということで「どう読むか?えーと、、んなもん知るか(I don’t fucking care)、かな!?」と全然冷静にやりすごせなかったのでもうわけわかんない。

 

なんでカナダのしかもGay Villageにまできてこんな人の相手しなきゃなんないの。