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明治さんとあさ子さんの発言まとめ

楽しい毎日を日記で綴ります!

習慣

なんだかこの日記が嫌なことがあった時の気分の発散の場になってるせいで下向きなエントリーしかないような気がする。

たぶん読み返すこともないだろうな、嫌なこと思い出すから。

 

楽しいことだけ書く日記にしてみようと思ってもきっと暗くなる。僕は楽しんじゃダメってプログラムされてる。たぶん。

楽しいって思うたびに何か起こるし、楽しみって思うたびに失落する。

 

今日楽しかったことは特にない。

昨日は小さなクラブイベントに行って、楽しかったかな、けど疲れた、とか、けど日曜なので長居はできなかった、とか、けど帰り道で僕と仲違いをしたチャブスターを見かけた気がする、とか、この「でも」が余計に出て来るのだ。

 

人からちょっと褒められた時もそう。「その靴新しく買ったの?いいね!」って言われると、けど高くて、とか、けど小指が当たって痛い、とか、いいでしょ?普段クソみたいな服着てるからそっちを先に何とかしろって感じだけど、とか、、最近気づいたんだけど、これって褒めた人からしたらせっかくポジティブな言葉を投げかけたのにネガティブに塗り替えられちゃって嫌な気持ちになるよね。

 

なぜこうなるのかはわからない。人生のどこかに理由がある。きっと催眠療法とかで掘り出すと出て来る。

 

いやでも、ひょっとしたら言い方なのかもしれない。今日は何もかもが面倒臭い月曜日だったけど終わって良かった!とか、買った靴がちょっときついけど人から褒めてもらえた!とか、、言い方を変えればいいのかもしれない。

 

それだけなのかもしれない、なのにそう言い換えてみると今度は何か悪いような気がする。

人より幸せになっちゃいけない気がする。

努力が足りてないのかもしれない。自分が幸せに思えるほど頑張ってないのかもしれない。

 

ここまで書いて思ったけど、ひょっとした「プログラム」ってのはそういうプログラムなのかも。生き物として、むかーしむかしはそうやって人は狩りに出てたのかもしれない。

 

前向きになる例

原始人「うほー」狩りに出て体力使う。

原始人「うほー(なんも狩れなかった)」

原始人の脳「(元気が出る物質キラキラ〜)」

原始人「天気がよくて良かったー!洗濯物乾いたし、ポケモンもゲットしたし、明日も頑張るぞ」

結果明日も頑張れる。

 

前向きにならない例

原始人「うほー」ダラダラする。

原始人の脳「(負の感情キラキラー)」

原始人「うほ(あれ、なんか気分がよくない。動かなくちゃ)」たくさん動き回る。

原始人「うほー!(子牛!子牛が沼にはまってる!)」

結果食べ物ゲット

 

みたいな。

気分がよくなることとは結局そうやって自分の本当にすべき事をすることなのでは。

 

確かに、忙しい人ほど、「落ち込んでる暇はない!」って感じで仕事頑張ってるし。

 

思春期こそ悩みが多い、ってのも、頑張りきれてないからなのかもしれない。体が成長しきって学校で勉強してるだけでは体力を持て余して「何かしなくては」、なのかも。でもこの現代社会では沼にハマった子牛なんて探せないので、悩む事に体力を使ってしまう。沼にハマった自分のどん底な気持ちを見つけてしまう。

体力や思考力を1日で使い切ってないから、脳がそれを使わせようとして、使い道が見当たらないのに使おうとする結果、悩んでしまう。

 

そしてそれが癖になっていく、、つまり、それが普通になってしまう。

 

癖といえば、前にトールくんが面白い説を教えてくれた。

悩みが多い人は悩みがなくなると何に悩んだらいいか悩んでしまう、というものだ。

 

僕のようにいちいち気を揉んでいると、事あるごとに何かに気を揉まなくてはという気持ちに馳せてしまう。

だからいい一日をまあまあ過ごせても、「でもあれがあったし、これがあったし、、」と気を揉んでしまう。

 

喧嘩ばかりするカップルもたぶん癖で、いい一日を過ごせても結局喧嘩になってしまう。

明るい人もたぶん結局は癖で、悪いことがあっても楽しい思い出を見つけて来るのだ。

 

癖とはつまり習慣。

急にポジティブに考える癖をつけるのはまあ無理だろうから、まずは深く悩まない習慣から始めようかな。

 

深く悩まない方法はなんとなくわかっている。英語で言うところの「functional」になる事だ。

Functionalとは機能、役割、という意味のFunctionの形容詞。つまり「役割を遂行できる」「機能的な」というような意味だ。

辞書をひくと「実用本位な」という意味が出て来るけどこれが一番近い。

 

Functionalをもうちょっと深く説明するとこうだ。Functionalな人、とは自分の役割、その場できたいされている自分の機能的な部分をわかっていてそれに合わせて行動する人のことだ。

 

例えば学校の先生だったらその人の機能は「学校で勉強を教えること」であってそれを果たしに仕事に来る。生徒と友達になりたい!とか輝く自分を同僚に認めてもらいたい!じゃない。

だから飲み会とか生徒との雑談とかに余計なエネルギーを使わない。

もちろん、そういった交流が学校での仕事にとって重要(それも役割の一つ)なのであればもう少し積極的に参加する。

 

例えば楽しむ事を目的に誰かの食事会に参加するのであれば楽しみに行く。喧嘩相手を言いまかしに行くんじゃないし、みんなが聞いてて死にたくなるような悩みを聞いてもらいに行くのでもない。

それが客として楽しみに行く事が自分の役割だからだ。

 

自分の役割を把握してそれを果たす事に集中すると淡々と一日が過ぎせる。

洗濯をしなければならない日の自分の役割は洗濯をすること、洗濯をしなければならないことを思い悩むことではない。

 

いまのクソみたいな仕事もそうで、「自分の役割は電話をかけて商品を買ってくれる人を探すこと」であってヤバイ社長の命令に従うのが嫌だなと思う場でも、話が長い主婦の話を聞くのを避ける場でもない。

あれもやだこれもやだ、というのは自分の役割から逸脱した感情であってそれを優先してはいけない。

そこに山があるから登るのだ。ちょっと違うけど。

今日することに静かに集中するのである。

 

悩むのを止める方法!的なブログを読むとよく出て来る「悩む時間を決めてその時は思いっきり悩む」というのもFunctionalな行動だといえる。

この時間はあの事に対して考えてみよう。とか。

 

こうすると悩みをあちこちに引きずらないで済む。楽しむ場で楽しめる。

 

ただ問題がある。ここまでわかってるのに気づくとその事を忘れて実践できないのだ。

それから、次はこれをする、この場ではこういう風に時間を過ごす、と決めてもその通りにいかないこともあって、その時の対処法がまだよくわからないのだ。

パニクらないこと。落ち着いて次は何をするか、それができなければもう一度落ち着いて次は何をするのか考えるしかないんだろうけど、気づくとすっかりパニクってる。

 

と、ここまで書いて結局「ただ問題が」なんて流れを負に落としてしまって本当にがっかりする。

習慣なのだ。

 

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