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明治さんとあさ子さんの発言まとめ

楽しい毎日を日記で綴ります!

いま

最近、自分が今に存在していない時と存在してるときがあるっていう事を感じるようになった。

過去に起こったことを心配したり思い出したりしている時、これから起こるかもしれない事を心配したり期待したりしてる時、こういう時って自分が今していること、すべきことをしていない時で、今に存在していないって事なんじゃないかと。

 

物思いにふてっている時は僕は今に存在していないのだ。

 

これをやめればやめるほど今=現実が充実していくんじゃないかと考えてる。

それで、自分が色々考えてるだけで何もしてない事に気付いたら止めるようにしてるんだけど、いざそうしてみるとその回数が多いこと多いこと。

もっと今に集中した方がいいんじゃないかと結構真剣に思い始めた。

 

幸せに関して考えてみてもそうで、まず今の仕事、いまの食事、いまの睡眠、そういうものが幸せのベースにないと、いつまで経ってもはっきりしない。

 

短いけどそんな事を思ったので書いてみました。

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結局、お金!

夢や希望は色々あるけど結局仕事をたくさんしてお金を稼ぐしかないのでは。というかそれが最優先じゃないと、「草原でギターを弾きながらのんびりするネオリア充な自分」を妄想しながら生き方を考えるともう仕事が負のものになってしまってあらゆる計画が負の渦に落ちて行く。

 

したいことを優先するのが理想的な生き方だと思ってたけどたぶん違う。するべきことを優先しなくては。

 

ふと書いてて思ったけどネオリア充って結構いい言葉思いついちゃったので適当に定義をまとえめておく。以下思い付き。

 

リア充が「社交的な生活を送っている自分を他人に見せつけるためにスキーに行ったりパーティーをしたりする人たちをシニカルに表現する言葉」だとしてネオリア充とは「趣味や人と違う生き方を人に見せつけるためにギターを練習したりやたらめったら一人旅に出たりする人たちをシニカルに表現する言葉」である。

 

世界一周とか読書とか囲碁とか山登りとかバックパッカーとかバンド活動とか、やたら報告してくる。リア充を見た時の嫉妬に似た感情をわき上がらせる反面、パーティーはしてないし、他人と馴れ合ってつるんでいる印象はない。好きなことを極めて違う世界にいっちゃってる人こそネオリア充である。ノマド生活をブログにするためにノマド時間にブログを書いている人である。

アンチ社交、アンチ社会、いわばリア充の真逆をいきながらなんていうか受ける印象はリア充から受ける印象そのものなのがネオリア充

 

リア充もネオリア充も良い悪いはない。正しく突き進んで行けばきっと何か良い未来に繋がるのだろう。ただそれを他人に見せつけたりそれ以外の生き方を否定し出すともう害悪でしかない。セルフブランディング、承認欲求こそ人をリア充やネオリア充にする根源なのだ。たぶん。

 

僕が思うに社交的な人はリア充じゃない。社交的な人に見られようとするために社交的なことをする人がリア充

ネオリア充もまたしかりで草原でギターを弾くこと自体はネオリア充ではない。それを自撮りしてプロフィール写真にして反応を待ち続ける人がネオリア充である。

 

僕はネオリア充なんだろうな、このままじゃ。

地に足をつけて小さくても毎日少しずつ結果を出していかないと、ただのピーターパン症候群である。

 

初めてキーボードを買ったのが17の時だけど見事に一曲も弾けないし、ギターなんて小さい頃から持ってるけど1曲も弾けないし。

けど部屋に飾ってあるし趣味はギター弾くこととかいっちゃってるし。

特技といえば英語のはずだけど人とコミュニケーションとるのは結局下手なままなのでもうどっかの金持ちエロオヤジのアナルセックススレイブになって、、と思うもののそういう性行為するくらいなら寝たいと思ってしまうのでそれすらできそうにない。

 

カナダのビザが整ったらすぐにでもあっちにいって仕事を見つけたい。

そしてお金をためて次はヨーロッパ遠征。

向こう3年はそんな感じの予定をざっくりと立てています。

というかたぶんもうそれしかない。先にヨーロッパに行くのは若干危険なのだ。なぜなら各国の言語が話せないので仕事がすぐに見つからない、または見つからない可能性が高いから。

だったら言語のわかるカナダで海外暮らしの経験を多少培ってからヨーロッパチャレンジを、と思っているのである。

 

もしくは、ヨーロッパチャレンジをさっさとして当たって砕けてできることに集中できるようにするのもまあ手だ。

ワーホリって期間が決まっているから良い仕事が見つからない可能性が高い。

その上、日本食レストランだのそういうとこで給仕とか若さと勢いが求められる仕事が多いのだ。

もう若くないんだなとつくづく思う。

 

---ね?もうそうなったらお金に集中するしかない。お金を稼げるところで稼いで好きな国に行くっきゃない!

っていうかそのための日本での7年間の仕事だったと思うんだけど、、、後半3年は全然貯金しなかったのは非常に情けない話であります。

「こんな給料じゃ良い洋服が全然買えない!」とか本気で思ってたけど、いま振り返ると色々感覚が麻痺してたなあ。給料ぽんぽん入ってきてたから。

電動歯ブラシなんか買っちゃったり、「一つくらいは持っといて良いよね」とか言いながら使いもしない香水買ったり(使い道がないので時々部屋にシュッてしてクンクン匂い嗅いでます)。

若者諸君、よく考えたらいらないものを充実した毎日を演出するために買ってしまう、これはリア充とネオリア充に共通する症状であるので、どうか気をつけて欲しい。

 

淡々と貯金をして、本当に自分がしたいことに使いたまえ。健闘を祈る。

 

行動力を奪っているもの

食後の空腹は血糖値がインスリンによって急激に下がるため、というのはわかった。

そしてそれを避けるためにはゆっくり食べましょう、というのもまぁわかった。

 

わかったけどじゃあ血糖値が下がってすごい空腹感を感じているときはどうしたらいいのかはわからない。

 

血糖値が下がっているため、というのが原因ならつまり僕はお腹が空いてなくて空いてるように感じているだけ、ということだろうか?

だったら何も食べなくていいはず。

それとも原因がなんであれ血糖値が下がっているので血糖値をあげるために何かしなければいけないならむしろ食べるべきなはず。

 

どっちなんだろう。

 

大丈夫、という方向にかけて寝ようとしても空腹が気になって眠れないし、、。

 

けどそんなことを考えてる間が一番幸せなのは確かだ。

Functionについて考える、次のステップ、次のステップ、と自分の行動を決めて推敲していくことだ。

お腹が空いた、次はどうしよう、気にせず寝るか何か食べるか。

このシンプルなステップこそ大事なんだと思う。

お腹が空いた、そういや貯金はこれからどうなるんだろう、壊れた友人関係は、こうやって考えるのは行動力を考えることに奪われているだけで、きっと良くない。

考えても答えがでないことを考えている間に他の考え事もわきでてきてそれが積み重なると焦りに繋がる。

焦りは余計に行動力を奪っていく。

事実を基に行動する。上手な生き方とは本来それだけなんじゃないだろうか。

 

それなのになぜ考えるのか、たぶん行動するのが面倒くさいからだ。

悩めば悩むほど、行動を後回しにできる。

落ち込みそうなときは、自分を忙しくする、と言っていた人のことを思い出した。たぶん同じ理屈だ。

くよくよする暇があったら行動する。

いろいろ考えちゃって寝れない、というのも、考えることに寝ることに使う行動力を奪われているのだ。

ちょっとずつやってみようと思う。

 

習慣

なんだかこの日記が嫌なことがあった時の気分の発散の場になってるせいで下向きなエントリーしかないような気がする。

たぶん読み返すこともないだろうな、嫌なこと思い出すから。

 

楽しいことだけ書く日記にしてみようと思ってもきっと暗くなる。僕は楽しんじゃダメってプログラムされてる。たぶん。

楽しいって思うたびに何か起こるし、楽しみって思うたびに失落する。

 

今日楽しかったことは特にない。

昨日は小さなクラブイベントに行って、楽しかったかな、けど疲れた、とか、けど日曜なので長居はできなかった、とか、けど帰り道で僕と仲違いをしたチャブスターを見かけた気がする、とか、この「でも」が余計に出て来るのだ。

 

人からちょっと褒められた時もそう。「その靴新しく買ったの?いいね!」って言われると、けど高くて、とか、けど小指が当たって痛い、とか、いいでしょ?普段クソみたいな服着てるからそっちを先に何とかしろって感じだけど、とか、、最近気づいたんだけど、これって褒めた人からしたらせっかくポジティブな言葉を投げかけたのにネガティブに塗り替えられちゃって嫌な気持ちになるよね。

 

なぜこうなるのかはわからない。人生のどこかに理由がある。きっと催眠療法とかで掘り出すと出て来る。

 

いやでも、ひょっとしたら言い方なのかもしれない。今日は何もかもが面倒臭い月曜日だったけど終わって良かった!とか、買った靴がちょっときついけど人から褒めてもらえた!とか、、言い方を変えればいいのかもしれない。

 

それだけなのかもしれない、なのにそう言い換えてみると今度は何か悪いような気がする。

人より幸せになっちゃいけない気がする。

努力が足りてないのかもしれない。自分が幸せに思えるほど頑張ってないのかもしれない。

 

ここまで書いて思ったけど、ひょっとした「プログラム」ってのはそういうプログラムなのかも。生き物として、むかーしむかしはそうやって人は狩りに出てたのかもしれない。

 

前向きになる例

原始人「うほー」狩りに出て体力使う。

原始人「うほー(なんも狩れなかった)」

原始人の脳「(元気が出る物質キラキラ〜)」

原始人「天気がよくて良かったー!洗濯物乾いたし、ポケモンもゲットしたし、明日も頑張るぞ」

結果明日も頑張れる。

 

前向きにならない例

原始人「うほー」ダラダラする。

原始人の脳「(負の感情キラキラー)」

原始人「うほ(あれ、なんか気分がよくない。動かなくちゃ)」たくさん動き回る。

原始人「うほー!(子牛!子牛が沼にはまってる!)」

結果食べ物ゲット

 

みたいな。

気分がよくなることとは結局そうやって自分の本当にすべき事をすることなのでは。

 

確かに、忙しい人ほど、「落ち込んでる暇はない!」って感じで仕事頑張ってるし。

 

思春期こそ悩みが多い、ってのも、頑張りきれてないからなのかもしれない。体が成長しきって学校で勉強してるだけでは体力を持て余して「何かしなくては」、なのかも。でもこの現代社会では沼にハマった子牛なんて探せないので、悩む事に体力を使ってしまう。沼にハマった自分のどん底な気持ちを見つけてしまう。

体力や思考力を1日で使い切ってないから、脳がそれを使わせようとして、使い道が見当たらないのに使おうとする結果、悩んでしまう。

 

そしてそれが癖になっていく、、つまり、それが普通になってしまう。

 

癖といえば、前にトールくんが面白い説を教えてくれた。

悩みが多い人は悩みがなくなると何に悩んだらいいか悩んでしまう、というものだ。

 

僕のようにいちいち気を揉んでいると、事あるごとに何かに気を揉まなくてはという気持ちに馳せてしまう。

だからいい一日をまあまあ過ごせても、「でもあれがあったし、これがあったし、、」と気を揉んでしまう。

 

喧嘩ばかりするカップルもたぶん癖で、いい一日を過ごせても結局喧嘩になってしまう。

明るい人もたぶん結局は癖で、悪いことがあっても楽しい思い出を見つけて来るのだ。

 

癖とはつまり習慣。

急にポジティブに考える癖をつけるのはまあ無理だろうから、まずは深く悩まない習慣から始めようかな。

 

深く悩まない方法はなんとなくわかっている。英語で言うところの「functional」になる事だ。

Functionalとは機能、役割、という意味のFunctionの形容詞。つまり「役割を遂行できる」「機能的な」というような意味だ。

辞書をひくと「実用本位な」という意味が出て来るけどこれが一番近い。

 

Functionalをもうちょっと深く説明するとこうだ。Functionalな人、とは自分の役割、その場できたいされている自分の機能的な部分をわかっていてそれに合わせて行動する人のことだ。

 

例えば学校の先生だったらその人の機能は「学校で勉強を教えること」であってそれを果たしに仕事に来る。生徒と友達になりたい!とか輝く自分を同僚に認めてもらいたい!じゃない。

だから飲み会とか生徒との雑談とかに余計なエネルギーを使わない。

もちろん、そういった交流が学校での仕事にとって重要(それも役割の一つ)なのであればもう少し積極的に参加する。

 

例えば楽しむ事を目的に誰かの食事会に参加するのであれば楽しみに行く。喧嘩相手を言いまかしに行くんじゃないし、みんなが聞いてて死にたくなるような悩みを聞いてもらいに行くのでもない。

それが客として楽しみに行く事が自分の役割だからだ。

 

自分の役割を把握してそれを果たす事に集中すると淡々と一日が過ぎせる。

洗濯をしなければならない日の自分の役割は洗濯をすること、洗濯をしなければならないことを思い悩むことではない。

 

いまのクソみたいな仕事もそうで、「自分の役割は電話をかけて商品を買ってくれる人を探すこと」であってヤバイ社長の命令に従うのが嫌だなと思う場でも、話が長い主婦の話を聞くのを避ける場でもない。

あれもやだこれもやだ、というのは自分の役割から逸脱した感情であってそれを優先してはいけない。

そこに山があるから登るのだ。ちょっと違うけど。

今日することに静かに集中するのである。

 

悩むのを止める方法!的なブログを読むとよく出て来る「悩む時間を決めてその時は思いっきり悩む」というのもFunctionalな行動だといえる。

この時間はあの事に対して考えてみよう。とか。

 

こうすると悩みをあちこちに引きずらないで済む。楽しむ場で楽しめる。

 

ただ問題がある。ここまでわかってるのに気づくとその事を忘れて実践できないのだ。

それから、次はこれをする、この場ではこういう風に時間を過ごす、と決めてもその通りにいかないこともあって、その時の対処法がまだよくわからないのだ。

パニクらないこと。落ち着いて次は何をするか、それができなければもう一度落ち着いて次は何をするのか考えるしかないんだろうけど、気づくとすっかりパニクってる。

 

と、ここまで書いて結局「ただ問題が」なんて流れを負に落としてしまって本当にがっかりする。

習慣なのだ。

 

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次を考えよう。

なんだか失敗を失敗で取り繕おうとしている気がする。というのも軍艦巻きの件で心の中でちょっと両親に当たってしまっているところがあるからだ。

 

軍艦巻き達は母の友人兼仕事でも付き合いのある人、と考えると今回のバーベキューはちょっとした接待だったことにもなる。

そこでひたすら不快な会話に付き合わされた僕とトールくんは言ってみれば営業活動に付き合わされたような気がしてしまって実にイライラしてしまうからだ。

 

ただまあ、最初っからこの辺まで見越して準備してたら色々変わったわけで反省できるところは反省したい。

例えば自分でもっと食べ物を準備して自然な感じでに父と肉焼きを交代していたら父を会話に付き合わせて僕たちは肉を焼けてたし、そもそも両親にバーベキューやろうなんて言わず自分で企画して両親をゲスト化してしまえば軍艦巻き一味は来なかったかもしれないのだ。

 

かといってもう寒くなるから二度目はないだろうし。

はぁ、なんだかこれから外国を旅することを考えるとひょっとしてもうバーベキューする機会なんてないのでは。やるとしても来年のこの時期でその頃にはトールくんもどこかに行ってしまってるのでは。

なんだかなあ。

 

人生一度きりなので失敗のないようにしたいけど、僕の場合その意識がすごく強いので小さな失敗に重みを感じる。

僕は「また次がある」って感覚で生きてない。ここに住む!っていう決定がされてないから。

 

例えば僕が日本で安定した仕事について、のんびり春夏秋冬を繰り返す人生を送っていたら、そして僕の友達もみーんなそんな感じだったら、たぶん今頃「次回は気をつけようーおしまい!」って感じで気持ちに区切りをつけられてたかもしれない。

 

けど僕の場合、来年日本にいないだろうし、トールくんも突然違う国に行ってしまうかもしれないし、親も年齢が年齢だし、この家だっていつまで住めるのかわからないし(相続税的な意味で)、なんだか全てが最後の気がして無理してしまうのだ。

昨年イギリスの友人が急に亡くなってしまったこともあって、ますますそんな想いは強くなる。

完璧主義とも言える。完璧主義なのに惰性で準備を怠り、思い通りにいかなかった事に拗ねて、落ち込んで振舞って誰かに代わりに反省してもらおうとしている。これが今の僕だ。

 

バカな人ほど幸せというけど、ここでいうバカな人とは賢く気持ちを切り替える人なんだろうな。だから側からみるとバカに見えてしまう。

 

いまいち家族の前だと自主性を発揮できない僕はなんなんだろう。

両親の手際が良すぎて気づくと全部準備されてるような気がする。

今回だって土曜の朝起きたら全部バーベキューの準備がされてて、「なんかもう入る隙ないな」って感じで眺めてたらすっかり席順まで決められて軍艦巻き一味と面接するような位置の席になってしまったのだ。

気づけば月曜日に目が覚めたら庭は片付いてるし。

 

この件はもうおしまい!とできないのはひょっとそたら僕が反省できないことの表れなのかもしれない。

 

昨日も書いたけど、謝れば謝るほどその謝りたい件が記憶に刷り込まれてしまうのだ。ということで今度こそこの件をこういう形で振り返るのはやめなければ。

次を考えよう。次を。

 

ところで今日こそしっかり寝たくて夕方寝ないように努力してたのに12時すぎて目が冴えに冴えている。

どうしたらいいの。

 

失敗が経験になるとはこういうことなのかも

トールくんに関して、いまだに悩んでるし繰り返し状況を思い出すたびに怒りがこみ上げて来る。自分に対して、状況に対して、軍艦巻きに対して、トールくんがまたいつかうちに遊びに来てくれたらいいなと本当に思ってる。

 

この件に関して何度でも謝りたいしトールくんが気にしてないってことを知って楽になりたい。トールくんがうちに遊びに来てくれたのは、僕の父は僕がゲイであることを知ってるし、外国人も嫌ったりしないし、母は英語が話せるし、おばあちゃんも外国人がハンサムで好き(と最近気づいた)だし、安心して来てねと僕が誘ったからなのに、真逆のことが起こってしまった。

そのためにはもう一度うちに来て楽しい時間をぜひ過ごして欲しい。

 

ただその機会を急げば急ぐほど、きっと逃してしまうことを僕は経験上知っている。

 

人との関係で何かがうまくいかなかった時に、その話題を繰り返しあげて謝り続けることとはつまりその話題を記憶に深く刻み込む事だからだ。

そして、これはトールくんがこの件で嫌な思いをしてたとして、僕がその事を許して貰おうとすればするほど、僕はトールくんの「あー糞ファック、酷かったな」と思う自由を奪ってしまうことになるからだ。その自由を奪ってしまったら、今度は僕を原因として嫌な気持ちの二次災害が起こる。それはトールくんの中に起こる「明治が嫌な思いをしないために自分が嫌な思いをしなかったと何度も嘘の説明をしなきゃならない」という嫌な気持ちである。

 

トールくんが気にしてないといってくれてるのに気にしてるんじゃないかと心配するということは、つまり僕がトールくんを信用してないということの証明にもなる。そして、今後トールくんが嫌だなと思った時にそれを表現できない息苦しさの原因になる。

 

だから、事実はどうであれ、僕はトールくんが気にしてないよといってくれた事を信じて、この件を一度終わらせ、記憶の彼方に葬り、楽しかった事だけ思い出せるようにしておきたい。

 

テニスの話を父として楽しんだとか、犬が可愛くてたくさん写真とったとか、いつも話題に出てた僕の家族にやっと会えたとか、そういう事が記憶に残れば、この件も「軍艦巻き一味が失礼な質問を繰り返した結果、人として恥を晒して面白かったし、こういう人もいるんだなと観察しがいがあった」というような視点で振り返る事ができるのかもしれない。

 

あんまりトールくんの事で僕が気をもむのはよくない。トールくんの「気にしてないよ」と言ってくれた優しさを無駄にすることになるだろうし。

 

本当に気にしてないならいつかまた遊びに来てくれるし(もちろん軍艦巻きのいない時に)、気にしててうちに遊びに来るのは嫌だなと思ってるなら、それはそれで受け入れてあげるのがたぶん友達として正しい。

彼の感じ方の自由を奪っちゃダメだ。

 

まあこんな経験をしたので、改めて僕の周りの友達はいい人たちで本当に良かったと今は思う。

僕がゲイでも変な目で見て話しかけてこないし、変わらず普通に接してくるので、僕がゲイだろうがゲイでなかろうがどうでもいいって良い意味で思える。

 

話が変わるけど、ゲイの受け入れ方って色々あるけど今の会社のヤバイ主婦はちょっと違う受け入れ方をしている。ゲイを受け入れようとしすぎて変な方向にいっているのだ。

 

ゲイを受け入れようとしすぎて変な方向にいっている人、これは「ゲイなんだからオシャレなんでしょ」とか「ゲイは女の気持ちがわかる!」とかいうとんでもない理屈を持ち出してやたら褒める事が正しいと思っている人。「ゲイはピュア」とか、二丁目のドロドロした人間関係みにいらっしゃったら?と言いたい。

上から目線でゲイを受け入れて悦に浸ってる。こういう人は「男はこうあるべき、女はこうあるべき」っていうセクシズムが考えの基準になっているので、ゲイを見た時に「ゲイはこうあるべき」っていう定義を基準に語りたがるのではないだろうか。

残念ながら同性愛者は特別なものじゃない。好きになる人が同性って事以外には、納税もして、仕事もして、ただ生活をしている。良い人もいれば悪い人もいる。

 

ゲイにとっては同性を好きになる事が普通のことなので、こういう人と会うと疲れる。

こういう人のやってる事は「女だから料理が上手じゃなきゃ」とか「外国人だから細かい事は気にしない」とか「男なのに弁当つくるなんてじゃあ弁当男子って呼んじゃお」とか「男なのに女にガツガツしないだなんてじゃあ草食男子と呼んじゃお」とか、ああいう糞ファック供だ。(こういう人を一言で呼べる名前がないものか。レッテル貼好きな人、とか、差別主義者って言いづらいもの。糞ファック供くらいの歯切れのいい言葉があれば、少しは社会が変わるのではないか。セクハラって言葉が社会問題を浮き彫りにしたように。)

 

ゲイを受け入れることに関してなんか勘違いしている人が日本には多いみたいで「男と男がセックスするなんて気持ち悪い!それを認めろだなんて迷惑な話」という人がいるけど、気持ち悪いならそれはそれでいい、僕だってマンコの話なんて気持ち悪いし、男と女のセックスの話なんて興味ないもの。

でもそしたらそういう生々しいセックスの話しなきゃいいだけじゃない?っていうか僕はゲイだけどゲイの人と会ってもアナルセックスの話を延々としたりしない。普通に秋刀魚がおいしいとかそういう話をしてる。

 

ちなみにトールくんによると最近はそういう話題が出た時に「付き合ってる人」とか「恋人」とか性別を明らかにしない形で会話をする事が英語圏ではあるようだ。

確かにこれなら相手がゲイであれバイであれなんであれ、平等な感覚で会話をする事ができる。

 

昨日も実は別のゲイの友達がきてて父が「彼女はいるの!?」と聞いてきてちょっと気まずい感じになったけど「誰か付き合ってる人はいるの?」だったらまだ良かったかもしれない。

いやただ、そういう場で恋人関係の話とかすること自体ぼくはそもそも不謹慎だと思うけど。その人がもし恋人と別れた直後だったらどうすんの?って。

 

Obnoxious って単語がある。物事に対する理解が不足していて繊細さの欠けた発言をするような人のことだ。

住む世界が狭ければ狭いほど距離感を失っていく。

そうならないように気をつけたい。それが知れて良かった。

 

それが知れて僕は良かったよトールくん!と、いつか前向きに今回の件を振り返れたらせめてもの救い。

 

トールくんには、謝るよりももっと素直に「気にしてないよと言ってくれて嬉しかった」と伝えようと思う。彼の優しさを無駄にしないために、この件で苦しまないようにしたい。

トールくん

今日は大事な友達トールくんを誘ってバーベキューをしたのだが、座る位置を間違えたというかそういう小さな判断の間違いからちょっとしたイザコザになってしまった。

 

ってなったしまったってなんか僕が悪いみたいだけど悪くない。

 

家族のバーベキューなので親の友達とか妹の友達とかも来ててそんな中で僕もトールくんを誘った。

10年くらい仲良くしてくれてるイギリス人の友達で今回はじめて僕の実家を訪問、ということで本当に楽しみにしてたしトールくんも楽しみといってくれて来てくれた。

 

駅に到着したというので迎えに行こうと家を出るとすでに庭では両親の友達とかがすでにバーベキューしてて、「友達迎えにいってきます」と家を出ようとしたら、父が陽気に「イギリス人が来るぞー英語で話さなくちゃ!」と送り出してくれた。が、そこで母の友人のの軍艦巻き(適当にあだ名つけました。由来なし)さんが「えーでも少数派が日本人に合わせて日本語で話すべき」とピシャリ。

 

前から発言にいちいちトゲがあるこの人、そういう冗談なのかな、おもしろくないけどこの人的には面白いのかなと思いながら家を出た。

 

トールくんを連れて帰るとその違和感がだんだん確信に変わっていく。

「じゃあ質問するから翻訳してよ」と軍艦巻きさんとその一味。

年齢は?日本で何してるの?イギリス人なんだからサッカーみるんじゃないの?お酒のまないの?としょうもない質問。

しかもトールくんが答えるたびにいちいち文句つけてくる。

 

結婚は?

してないです。

えーなんで?しないの?

 

好きなワインは?

これです。

ッパ!お子ちゃまだなー

 

サッカーはどこが好きなの?

サッカーは見ません。

えーイギリス人なのに?

 

日本の前はどこに住んでたの?

オーストリアです。

えーなのにオーストリア語話せないの?

 

むしゃくしゃしながらしょーもないと思いながら翻訳してると終いには

 

イギリスが殖民地にしてた香港がいまひどい状況なことをイギリス人としてどう思うか?

 

って質問が出てきて完全にこの軍艦巻き嫌がらせで話しかけてきてるってことがわかった。

さすがに僕も怒って「何が言いたいんです?謝って欲しいんですか?」と行って急遽トールくんと犬の散歩へ。

 

帰ってきてもまたくだらない質問が続いて今度はなんで結婚しないのか、ひょっとして男が好きなのか、知り合いのピアニストが男好きなんだよどう思うか、だの今度は性的趣向に関してまで聞いてきてもう完全に見限った。

 

いくら親の友達とは言え度がすぎてる。

なんで初対面の人にそんな質問をズカズカするのか、軍艦巻きさんは母の長い友人なので僕のことを「オムツしてるときから知ってる!」といってくるがどう反応すればいいのか、なんなの糞ファック

 

結局トールくん連れてリビングでおばあちゃんとお喋りすることにしてそいつらが帰るまで乗り切ったけど怒りで眠れない。

 

仮にゲイだとしてなんだっていうのか。

それを知ってこいつらに認めていただく必要なんてあるのか、トールくんが日本語話せないからってなんなのか。

頼んでもないのに迷惑がられてせっかくのバーベキューがもう台無し。糞ファック。

 

何に怒ってるって僕がどう対処すればよかったのかいまいちよく見えないとこ。

温厚で礼儀正しいトールくんが外国人ってだけでなんでここまで奇異な目で見られて不当な扱いを受けなきゃいけなかったのか。

 

イギリスが植民地にーって言われた時「食事の場でそんな話はやめめしょう。大日本帝国がアジア諸国にしたことの話したいですか?」とスマートかつフェアに言い返せなかったものなのか。「ひょっとして男が好きなのか?」って言われた時に「だったらなんなんですか?」って言えばよかった。

 

親の友達ってだけで言い返せなかったけどそれを良いことに言いたい放題だった軍艦巻き一味がほんとに許せない。

 

差別ってこういうことなんだなって本当の意味でわかった気がする。

年齢とか、性別とか、ゲイかどうかとか、仕事とか、その人がその人である個性と自分との差を指摘して人をいびることが差別なんだ。きっと。

 

38なのに結婚してないとか、イギリス人なのにサッカー見ないとか、男なのに男が好きとか、英語教師だからどうとか、それって差別じゃないですかってはっきり言ってやればよかったとほんと後悔。

 

一方トールくんは「気にしてないから大丈夫、翻訳ばかりするハメになっちゃってごめんね」と相変わらず律儀で胸が張り裂けそうです。

 

 

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